こんにちは。
家庭教師の銀河の高倉です。
いつも、私の記事を読んで頂き、誠にありがとうございます。
世間では、まだまだコロナの影響が出ていますが、コロナに負けず頑張りましょう。
さて、早速本題に入ろうと思います。
今回は「子供の頃、生きることについて考えさせられた」というお話をしようと思います。
私が小学2年の頃の話ですが、母方の曽祖母が86歳でこの世を去りました。
曽祖母が病院で息を引き取るを見届け、お通夜, 葬儀までのすべてを幼いながらに経験をしました。
そして、葬儀の日に、私が子供の頃にトラウマになった出来事が起こります。
その出来事とは、「いつか人間は必ず死ぬ」ということを名も知らないおじさんから聞いたのです。
当時、小学校2年生だった私は、おじさんにこのようなことを尋ねてみました。
「なあ、おっちゃん。人間って絶対に最後に死ぬの?」
おじさんは「必ず死ぬ」と答えました。
もう一度、私は訪ねてみました。
「たくさんご飯を食べて、たくさん運動をして、元気いっぱいでも死んでしまうの?」
おじさんは「それでも死ぬ」と私に言いました。
「そっか。必ず人間は最後に死ぬのか」と思ったのですが、その直後、とてつもない恐怖に襲われました。
「死ぬ時って苦しいのかな?」とおじさんに聞いたところ、
「それは、おじさんにも分からん。」と言われました。
私は「苦しくないよ」と答えて欲しかったのですが、おじさんは私の期待通りの答えを返してくれませんでした。
この時のことがトラウマになり、「死に対する恐怖」を子供の頃はずっと考えていました。
そして、私が中学生になった時に、担任の先生に子供の頃のトラウマを言ってみたら、「死ぬのは高倉くんだけじゃなくて、先生も含み、みんな最後には死ぬ運命なんだよ。だから、生きている間に自分のやりたいことをやりなさい。」と担任の先生に言われました。
中学生の頃の私は、勉強はできない、スポーツもやっていない、何のための人生なんだろ?と常に疑問を持ちながら過ごしていたので、この先生の言ってたことに対して、更に疑問を持ちました。
自分は勉強もできない、スポーツも嫌い、学校も嫌い、モテない笑
こんな自分のやりたいことって一体なんなんだろうと。
答えは大人になるまで出ませんでした。
それから、月日が経ち、自分のやりたいことはなんなんだろう?ともう一度問いかけた時に、答えが出ました。
教育に携わることがしたいと。
「教育」という言葉の意味は深く、勉強だけが教育じゃない。
子供にせよ、大人にせよ、何歳になろうが、生きていくうえで必ず教育が絡んでくる。
「教育」というのは、永遠のテーマです。
教育業界にいる私ですが、私もまだまだ教育を受ける立場なので、私は自分の人生を終えるまで、一生勉強をしていこうと思います。
勉強をするというのは、色んな意味で人生の選択肢が広がるので、まだまだ人生は長いので、選択肢を広げていこうと思います。
最後までお読み下さり、ありがとうございました。
よろしければ、また次回の記事も読んで頂けると嬉しいです。
それではまた。